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⭐️作品について下保昭先生と言えば幻想的な表現力。素晴らしいですね。⭐️ 下保昭没年月日:2018/08/07分野:日, 画家 (日)読み:かほあきら 中国や日本の自然を題材にした幽玄な水墨画で知られる日本画家の下保昭は8月7日、肺がんのため京都市の病院で死去した。享年91。 1927(昭和2)年3月3日、富山県東砺波郡出町神島(現、砺波市神島)の裕福な農家に生まれる。絵心があり旅絵師とも交流があった祖父の影響で画家を志す。43年、44年と京都絵画専門学校(現、京都市立芸術大学)を受験、学科と実技は合格するも、正科であった軍事教練の成績が悪かったため不合格となる。44年隣町にある呉羽航空に徴用。45年の終戦を機に京都と富山を頻繁に行き来し、家人の知り合いであった石川県松任出身の日本画家、安嶋雨晶を訪ねる。46年第1回富山県展に出品した「白木蓮」が最高賞の富山市長賞を受賞し、これを機に画家として身を立てることを改めて決意。翌年の第2回展に出品した「かぼちゃ」でも市長賞、その後第4回展、5回展、6回展で第二賞、7回展で第一賞、53年の第8回展に出品した「河岸」で三度目の富山市長賞を受賞。この間48年に京都へ出て下宿するようになり、第4回京都市美術展に「雪どけ」が入選するが、同年の第4回日展と翌年の第5回展に出品した「斜陽」は落選。この時期、京都市内の博物館や美術館へ行き池大雅や浦上玉堂、富岡鉄斎等の作品に接する。49年安嶋雨晶の紹介で西山翠嶂の画塾青甲社に入る。画塾で開かれる月一回の研究会に出席する傍ら、大阪釜ヶ崎のドヤ街や横浜、長崎、鹿児島等の港町を転々とし、終戦後の貧民街や場末の風景をスケッチする。50年第6回日展に「港が見える」が初入選、イギリスの画家ベン・ニコルソンの感化による構築的な作風により、以後入選を重ねる。54年第10回日展「裏街」、57年第13回日展「火口原」がともに特選・白寿賞を受賞、61年第4回新日展「沼」で菊華賞を受賞。翌年日展審査員をつとめ会員となった。この頃より大自然と対峙し、そのエネルギーを孕んだ心象風景を描くようになる。62年に日本橋高島屋で初個展を開催。67年第10回新日展で「遙」が文部大臣賞を受賞し、69年には日展評議員となる。この間、63年第7回日本国際美術展、64年第6回現代日本美術展に招待出品。街並以下省略。
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⭐️作品について
下保昭先生と言えば幻想的な表現力。素晴らしいですね。
⭐️ 下保昭
没年月日:2018/08/07
分野:日, 画家 (日)
読み:かほあきら
中国や日本の自然を題材にした幽玄な水墨画で知られる日本画家の下保昭は8月7日、肺がんのため京都市の病院で死去した。享年91。
1927(昭和2)年3月3日、富山県東砺波郡出町神島(現、砺波市神島)の裕福な農家に生まれる。絵心があり旅絵師とも交流があった祖父の影響で画家を志す。43年、44年と京都絵画専門学校(現、京都市立芸術大学)を受験、学科と実技は合格するも、正科であった軍事教練の成績が悪かったため不合格となる。44年隣町にある呉羽航空に徴用。45年の終戦を機に京都と富山を頻繁に行き来し、家人の知り合いであった石川県松任出身の日本画家、安嶋雨晶を訪ねる。46年第1回富山県展に出品した「白木蓮」が最高賞の富山市長賞を受賞し、これを機に画家として身を立てることを改めて決意。翌年の第2回展に出品した「かぼちゃ」でも市長賞、その後第4回展、5回展、6回展で第二賞、7回展で第一賞、53年の第8回展に出品した「河岸」で三度目の富山市長賞を受賞。この間48年に京都へ出て下宿するようになり、第4回京都市美術展に「雪どけ」が入選するが、同年の第4回日展と翌年の第5回展に出品した「斜陽」は落選。この時期、京都市内の博物館や美術館へ行き池大雅や浦上玉堂、富岡鉄斎等の作品に接する。49年安嶋雨晶の紹介で西山翠嶂の画塾青甲社に入る。画塾で開かれる月一回の研究会に出席する傍ら、大阪釜ヶ崎のドヤ街や横浜、長崎、鹿児島等の港町を転々とし、終戦後の貧民街や場末の風景をスケッチする。50年第6回日展に「港が見える」が初入選、イギリスの画家ベン・ニコルソンの感化による構築的な作風により、以後入選を重ねる。54年第10回日展「裏街」、57年第13回日展「火口原」がともに特選・白寿賞を受賞、61年第4回新日展「沼」で菊華賞を受賞。翌年日展審査員をつとめ会員となった。この頃より大自然と対峙し、そのエネルギーを孕んだ心象風景を描くようになる。62年に日本橋高島屋で初個展を開催。67年第10回新日展で「遙」が文部大臣賞を受賞し、69年には日展評議員となる。この間、63年第7回日本国際美術展、64年第6回現代日本美術展に招待出品。街並
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